6.雨(前編)




雨の音が聞こえる。
それは誰かが泣いている声のようだった。



辺りはすっかり暗くなり、月明かりが夜の世界を照らしている。
十番隊隊舎・執務室の明かりがともる。
中には日番谷や乱菊、の姿があった。
乱菊は日番谷に向かって、言う。

「たいちょー。今日は終わりにしましょうよー。業務時間はとっくに過ぎてますよー」
「無駄口を叩いてる暇があったらさっさと『それ』を片付けろ」

日番谷が言う『それ』とは、乱菊の目の前にある書類のことだった。
今、乱菊の机の上には大量の書類が重ねられている。
乱菊は恨めしそうに書類を見て、次に日番谷のほうを見た。
事の発端は、日番谷の一言だった。書類提出という名のサボりから戻ってきた乱菊に、日番谷は言った。
「この書類を全て処理するまで帰さない」と。
反論は一切受け付けてもらえず、執務室から出ることも許されなかった。
乱菊はあきらめて書類を処理し始めたのだが、一向にその数は減らなかった。
終わらない仕事に、厳しい上司に、乱菊は泣きたくなってきた。

「乱菊さん、お茶をどうぞ」

そう言って、は乱菊の前にお茶を置いた。
乱菊はのほうを見て、願うように、祈るように、言う。

…。お願い、手伝って…」
「すみません。それはできません」

は、苦笑いを浮かべながら、申し訳なさそうにそれを拒否した。
自身、手伝いたいのは山々なのだが、できない理由があった。
それは数時間前のことだった。


日番谷は、が自分の仕事が終わったのを知ると、言った。

。今日はもう帰っていい」

日番谷の突然の言葉に、は正直驚いた。
いつもなら自分の仕事が終わっても、乱菊の分の仕事の手伝いを任せるのだが、今日は真逆だった。

「まだ乱菊さんの仕事が終わっていませんが?」
「それは松本にやらせるからいい。は自分の仕事を終わらせたんだろ?だったら自室に戻ってゆっくり休め」
「隊長はどうなされるんですか?」
「俺は松本がサボんねえように見張ってる」
「…………」

二人の間に沈黙が続いた。
しばらくして、は日番谷に微笑んで言った。

「私も残ります」

それを聞いた途端、日番谷はびっくりしたようにのことを見た。
それでも、相変わらずは日番谷に微笑み、言う。

「私は三席で、副官補佐です。副隊長である乱菊さんを助けることが自分の仕事です」

相手の目を見て自分の意志を伝えようとする
そんなを見て、日番谷は呆れてため息をついた。
だが、日番谷の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。

「分かった。お前も残れ」
「はい!ありがとうございます!」
「ただし、条件がある」

日番谷がに出した条件。
それは、『乱菊の仕事の手助けはせずに見守ること』だった。

「今、が松本の仕事を手伝ったらあいつのためにならない。助けることも大切だが、それと同じくらい見守ることも大切なんだ」

は日番谷の条件に応じた。
お茶を出したりはしているが、仕事の手伝いはしていない。
日番谷の言葉を守り、乱菊を見守っていた。


ザァァァ


雨の音が聞こえた。
は窓を見るが、水滴で外の景色が見えなくなっていた。
さっきまで晴れていたのに、と思う。
途端には嫌な予感がした。
不安がの心を支配し、それは徐々に大きくなっていく。
胸に手を当てると心臓の音が伝わってくる。
は、早まる鼓動を抑えるように、手をぎゅっと握り締めた。

?」

は日番谷に呼ばれて、はっとしたように後ろを振り返った。
日番谷の心配している表情がの目に映る。
それを見て、は笑ってみせる。
だが、日番谷にはそれが笑顔にはとても見えなかった。
当人はいつものように笑っていると思っているが。
何か言おうとする日番谷だったが…。

。私、お腹すいちゃった。調理場に行って何かご飯持ってきてくれない?」

突然、日番谷との間に乱菊が割り込んで入ってきた。
乱菊の申し出を聞いたは、

「分かりました!今すぐ持ってきますね!」

そう言って、執務室を飛び出した。
大地へと降り注ぐ雨の音を聞きながら、は調理場へと向かい足を急がせる。
見せ掛けの笑みを浮かべたままで…。



ザァァァ


雨音が響いていく。
止む気配を見せない暗い雫をは見つめていた。
心の中にある不安はまだ消えない。

「はぁ…」

深いため息をつき、の視線は外へと向けられた。
そして、ある人物の姿を捉えた。
それは、朽木ルキアだった。

「ルキア!」

は雨の中へと足を進めた。
冷たく氷るような雫がの身体を濡らしていく。
だが、そんなことを気にしていられる状態ではなかった。
自分のことよりもルキアのことが心配だった。
はルキアの前までやってくると、小さく尋ねた。

「ルキア?どうしたの?」
「…………」

ルキアは下を向いたまま黙っている。
そんなルキアを見て、は己の心が軋む音が聞こえた気がした。
それでもルキアに話しかける。

「風邪ひいちゃうよ?中に入ろ?」

そう言うと、ルキアの前に手を差し伸べる
いつものように手を握ってくれると思っていた。
けれど。


パシッ!


雨が奏でる音の中で、冷たい音が響いた。
ルキアがの手を払うように己の手を打ち付けた音。
それは、拒絶の音だった。
雨は止むことなくとルキアを濡らしていく。

「…ルキア?」
「もう止めにしよう」
「…………」

は何も言わなかった。
何かを言ってしまったら、続きを聞いてしまったら、壊れてしまうと分かったから。

『壊れないで』

そう心の中で強く願う
だが、その願いが叶うことはなかった。
ルキアはゆっくりとした口調でに言う。


「友達ごっこは止めにしよう」







  



 (08.04.07)

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