25.心(中編)




藍染の反乱から一週間が経った。
今回の一件で瀞霊廷は未曾有の大混乱に陥ったが、少しずつ落ち着きを取り戻し、元の状態へ戻ろうとしている。
……否。"元の状態"に戻れるわけがない。
だが、それでも……。


四番隊・綜合救護詰所。
三階の一室にルキアの姿があった。
備え付けの椅子に座り、じっと見つめているルキア。
その視線の先にいたのは、だった。
ベッドに横たわる。その細い腕には管が刺さり、体内へと薬液を注入している。
は眠っていた。あの日から、ずっと。



藍染・市丸・東仙の三人が尸魂界を去ったあの後。
双極の丘にいた全員の視線はに集中した。
"反膜ネガシオン"にいる藍染から、自分の斬魄刀を取り返した
信じられない光景を目の当たりにして、誰もがその説明をに求めようとしたが、できなかった。


バタンッ
っ!?」


突然、その場に倒れこんでしまった
まもなく四番隊の隊士がやってきて治療を開始したが、何の処置もできなかった。
卯ノ花が月を診ても結果は変わらなかった。
何故なら……。

「眠っているだけです。相当疲れがたまっているようですし、今はゆっくり休ませましょう」

卯ノ花は微笑み、優しくそう言った。
皆、卯ノ花の言葉を聴き、安心した。
すぐに目を覚ます、と。誰もがそう思っていた。
だが、が目を覚ますことはなかった。
一日、二日、三日と時間は過ぎていき、一週間が経った。
それなのには眠り続けている。
何度も、卯ノ花をはじめとする四番隊隊士がの容態を診た。
だが、どこにも異常はなかった。
が目を覚ますのを待つしか、できなかった。
『このままずっと眠り続けるのではないか?』と考えてしまう。
そんなこと考えたくないのに、『目を覚ます』と信じたいのに。



…」

ルキアはの手を握り、名を呼ぶ。
てのひらの温もりが伝わってくる。生きていることを教えてくれる。
ルキアはその手をぎゅっと握り締めて、もう一度の名を呼ぶ。

……」

もしかしたら、は目を覚ましたくないのかもしれない。
このままずっと、夢の中にいたいのかもしれない。
けれど、

「目を覚ましてくれ、

ルキアは嫌だった。
わがままだと分かっているけれど、それでも、に目を覚ましてほしい。
そして……。

「……?」

の指が、微かだが、動いた。
ルキアは驚きながらも、もう一度、を見る。
すると、今度は瞼が動いた。
それは、少しずつ、ゆっくりと、上がっていく。
ルキアと。二つの視線が重なった。
刹那。ルキアの中で、時間が止まった。
音が聞こえない。心臓の鼓動が痛いくらい伝わってくる。
そんなルキアのことをまっすぐと見つめて、

「ルキア」

は小さく微笑んだ。
それはいつもと変わらない笑顔で、ルキアがずっと求めていたものだった。


!!」


を抱きしめるルキア。
涙が溢れて、目の前が滲み、何にも見えなくなる。
それでも、ルキアの涙は止まらない。
の体温と鼓動が伝わってきて、ルキアは子供のように泣きじゃくることしかできなかった。
伝えたいことはたくさんあるのに、それを言葉にできない。それくらい嬉しかったのだ。
窓から差し込む夕陽がルキアとを暖かい色に染めていく。



太陽を見送り、夜を迎えた瀞霊廷。
皆が寝静まる中、話し声が聞こえてくる。

「綺麗だね、ルキア」
「……ああ。そうだな」

とルキアだった。
二人は綜合救護詰所の屋根の上に寝転がりながら、目の前に広がる満天の星空を眺めていた。
何故、こんなところにいるのか。全てはの一言から始まった。


たくさん泣いて、気持ちがすっきりしたルキア。
その隣で、はずっと眠っていた身体をゆっくりと伸ばしている。
ルキアは、そんなを見つめて、言う。

「…に話したいことがあるのだ」
「なぁに?」

ずっと思っていたことを、今、伝えなければ。
ルキアはそう自分自身に言い聞かせて、話を切り出した。
けれど、

「……………」

言葉が出てこない。
何からどう話せばいいのか分からず、言葉が詰まってしまった。

『言わなければ、何か言わなければ』

そう思えば思うほど、できなくなってしまう。
すると……。

「それじゃ、行こっか!」
「……は?行くって、どこにだ?」
「場所はまだ決めてないけど、とりあえず行こう!病室ココじゃないところで話そう!」
「だが、お前、まだ身体が……」
「あ、屋根の上はどう?夜風が気持ちいいよ!きっと!」


こんなやり取りをして、今に至る。
ルキアはの身体のことを心配しているのだが、当人は全く気にしていない。
点滴――と病室を繋ぐ存在もの――はいつの間にか抜かれ、止める暇もなく屋根の上へとやってきたのだ。

『卯ノ花隊長に叱られてしまうな…』

そんな考えが頭によぎり、ルキアが大きなため息をついた、そのときだった。

「ありがと。ルキア」
「えっ?」

突然の言葉に驚き、ルキアは隣へと視線を移すが、は空を見つめたままだった。
それでも、の言葉はさらに続く。

「目を覚まして一番最初に見たのがルキアで、すごく嬉しかったんだ。だから、ありがとう」
「………」

ルキアは心の中で『それはこっちの台詞だ』と呟いた。
目を覚ましてくれて、もう一度笑ってくれて、ルキアは本当に嬉しかったから。
そして、

『そうか……』

の気持ちを知って、ルキアはようやく理解した。
何から話せばいいかなんて、そんなことで悩む必要はなかったのだと。
ずっとに言いたかったこと、ずっと心の中に秘めていた気持ちを、そのまま言葉にすればいいのだと。

。話を聞いてほしい」



目を閉じればあのときの光景が蘇る。耳を澄ませば声が聞こえる。
色鮮やかな血の紅色と暗く冷たい雨は、忘れることも消えることもない罪。

「私は海燕殿を殺した」

刀で海燕を貫いた感覚は今でも覚えている。
海燕の生暖かい血、冷たくなっていく身体、凍るような雨。
どれもルキアの心と体に刻まれた、記憶。

「あのときからずっと思っていた。私は醜いと。私の存在は誰かを不幸にすると。だから、私はと別れることを決めた」

こんな自分が月花の友達であっていいはずがない。
を不幸にする前に離れなければ。そして、もう二度とに会ってはいけない。
そう自分に言い聞かせていた。

と別れて、私はのことを忘れようとした。思い出さないように、考えないように、心の中からという存在を消してしまおうと思った。だが……」


「こんにちは!」
「私、あなたと友達になりたい」
「もし何かあったら、もしどうしようもなかったら、私を呼んで」


ルキアの内にある記憶が、との思い出が消えることはなかった。
ずっとのことが気になっていた。
のことを忘れるなんて、できなかった。

「私は……もう一度、と友達になりたい」



沈黙が続いた。
実際はほんの少しの時間なのかもしれないが、ルキアにはとても長い時間に感じた。
何度も深呼吸するが、それでも心は落ち着かない。
がずっと黙っていることが、手が震えてしまうほど、すごく怖かった。
恐れる心と逃げ出しそうになる体を抑えながら、ルキアはの答えを待った。


「私ね、ずっと怖かったんだ。ルキアに嫌われたんじゃないかって思って。すごく、すごく、悲しかった」

ルキアに「友達ごっこはやめよう」と言われたとき、心臓が止まってしまった気がした。
悲しくて、胸が痛くて、心が冷たくなった。
それでも……。

「でも、あきらめたくなかった。ルキアのことをあきらめるなんて、ルキアとの関係を無かったことにするなんて、できなかったの。だって、ルキアは私にとって大切な友達だから」
「………」

ルキアはにとって友達。あの日からずっと、変わらない。
だから、ルキアがと友達になりたいと思った瞬間から、二人は友達だったのだ。

「私はルキアのそばにいるよ。これからも、ずっと」
「……ありがとう。







  



 (09.04.26)

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