何をしても上手くいかなくて、自慢できるものは何も持ってなくて、何にもできない自分が大嫌いだった。
それなのに、
「大好きだ。」
兄上は「大好き」と言ってくれた。
たとえ上手くできなくても、たとえ何も持っていなくても。
これは兄上の口癖だった。
にこっと笑って、ぎゅっと抱きしめて、大好きだと言ってくれた。
嬉しい反面、羨ましかった。
自分の考えや気持ちを素直に言えて、他人の心を温かくできる兄上が、すごく羨ましかった。
だから、
「私も、兄上のようになりたい」
心の中で思っていた気持ちを初めて口にした。
それを聞いて、兄上は少し困った顔をしていたけど。
「気持ちは嬉しいけど、それは不可能だ」
「どうして?」
「どう頑張ってもお前は俺にはなれない。お前はお前なのだから…」
「よく分からない」
兄上は少し考えて、しばらく考えていた。
そして、にこっと笑って、尋ねた。
「は俺のこと好き?」
「うん!大好き!!」
「俺のどんなところが好き?」
「えっとね…」
明るくて、楽しくて、優しくて、温かくて……。
兄上の好きなところ。少し考えただけでたくさん出てくる。
全部言っていたら時間が足りないくらい。だから、
「ぜーんぶ!!」
そう答えた。兄上の嫌いなところなんて一つもないから。
すると、
「俺も同じだ。のことが大好きで、嫌いなところなんて一つもない。だから、はそのままでいて欲しい」
兄上からお願いされるのは初めてで、すごく嬉しかった。
お願いされることは、自分にしかできないことだから。
だから……。
「約束する!私、ずっと変わらない!このままでいるよ!!」
それが兄上の願いなら、これからもずっと変わらないでいるって自分の心に決めた。
「約束な。」
「うん!約束!!」
「思い…出した…」
晄との約束。晄の本当の気持ち。
ずっと忘れていたけど、全部思い出した。
晄は、が変わらないことを願っていた。
誰かのようになりたいなんて考えずに、自分に自信を持って生きて欲しいと思っていた。
ようやく仮面が外れた。
呪縛から解放されて、本当の自分を取り戻すことができた。
の心を巣食っていた闇が光へと変わる。
"光"となっての目の前に現れたのは"シロさん"だった。
「もう大丈夫だな」
「うん。ありがとう。シロさん」
がお礼を言うと、"シロさん"は静かに微笑んだ。
"シロさん"の笑顔はとても穏やかで、それを見たは理解した。
"シロさん"との別れがやってきたことを。
「全く。世話の焼ける兄妹だよ、お前らは。まあ、楽しかったがな」
「ありがとう。ずっとそばにいてくれて。すごく嬉しかったよ」
「やっとアイツのところに逝ける」
"シロさん"の体が少しずつ消えていく。
とても綺麗な微笑みで、とても満足そうな表情で、は安心した。
未練はないのなら、きっと会いたい人に、晄に逢えるだろう。
も二人の再会を心から願った。
が目を覚ますと、そこにはもう誰もいなかった。
行ってしまった。藍染を止められなかった。
は、悔しさから己の手をぎゅっと握り締める。
……だが、行ってしまったのは藍染だけではなかった。
ふと、刀が落ちていることに気付いた。
見覚えがある、がいつも肌身離さず持ち歩いている、刀。
だが、違和感がある。何かがおかしいとの心が訴えている。
その刀に触れて、はようやく理解した。
「曼珠沙華…」
この刀は曼珠沙華ではない。抜け殻となってしまった、名前のない刀・浅打だった。
どうして曼珠沙華はいないのか、考えられる原因は一つ。
「藍染隊長……」
藍染に連れ去られた。それしか考えられない。
どうしてそんなことをしたのか、理由は分からないし、どうでもいい。
取り戻さなければ。曼珠沙華を守らなければ。
は刀を握り締めて走り出した。
今、藍染がいる場所、双極の丘へ。
傷付き倒れた者。全てを知り、集まった隊長格。
その中心にいる藍染、市丸、東仙の三人に逃げ場は無い。
けれど、
「時間だ」
藍染の笑みが崩れることはなかった。
割れる空。そこから差し込む一筋の光。
三人の身体はその光に包まれる。
空の割れ目から姿を現した大虚。その奥にいる"何か"。全て藍染の目論見どおりに進んでいた。
"反膜"
大虚が同族を助けるときに使うもの
光に包まれた瞬間から干渉不可能な、完全に隔絶された世界になってしまった。
浮竹は、もう触れることすらできない藍染を見つめ、問う。
「…大虚とまで手を組んだのか……何の為にだ」
「高みを求めて」
「地に堕ちたか、藍染…!」
尸魂界を裏切り、大虚と手を組む。
それは死神としてあるまじき行為だ。
誰一人として藍染を許すことはできない。
だが、
「…傲りが過ぎるぞ、浮竹。最初から誰も天に立ってなどいない」
藍染は言う。
誰一人として、神すらも、天に立った者はいない。
遥か昔から永きに渡り続いてきた、耐え難い天の座の空白。
それも、まもなく終わる。終わらせてみせる。
「これからは私が天に立つ」
空の分け目、大虚の下へと向かう藍染たちを見ていることしかできない。
誰もがそう思っていた。
けれど……。
「待って」
だけは違った。
突然現れたに、ここにいる全員の意識が集中する。
だが、は気にしない。藍染をまっすぐ見据えて、言う。
「曼珠沙華を返して」
すると、藍染はずっと隠していた曼珠沙華をに見せた。
勿論、に返すつもりなどない。
「彼女はもう私の物だ」
このままでは、曼珠沙華は藍染に連れて行かれてしまう。
だが、の気持ちは変わらない。
首を横に振り、はっきりと藍染に言う。
「曼珠沙華は物じゃない。私の大切な友達よ」
「君に何ができる?」
自身、分かっていた。
藍染が光の中にいる以上、手出しはできないと。
けれど、それでもできることはある。
「曼珠沙華。おいで」
は、両手を伸ばし、曼珠沙華を呼んだ。
これは、曼珠沙華に戻ってきて欲しいという、の願いだった。
曼珠沙華は言った。『お前が望めば我はそれを叶える』と。
いつだって曼珠沙華は約束を守ってくれた。
だから、
「曼珠沙華の居場所はここだよ」
は曼珠沙華を信じていた。
戻ってくると、約束を守ってくれると、心から信じていた。
そして、
ふわり
空に向かい広げていたの両手が何かを掴んだ。
青い空を見つめていたの両目が鮮やかな紅色を映した。
それは、
「おかえり」
「………」
曼珠沙華だった。
がぎゅっと抱きしめると、曼珠沙華は刀へと戻った。
はそんな曼珠沙華を見て小さく笑みを浮かべた後、もう一度空を見上げた。
空の裂け目、大虚の手の中に藍染。
笑みは消え、信じられないと瞳で訴えている。
はニッコリと微笑み、声には出さず口を微かに動かして、藍染に言った。『ごきげんよう』と。
こうして藍染たちは姿を消した。
長かった今回の騒乱は―――とりあえずだが―――ようやく終わりを迎えることができたのだ。
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