日番谷は大量の書類と格闘していた。
目の前には書類が積まれて山と化している。
机にも、床にも。執務室は書類で埋め尽くされている。
それらは全て五番隊の仕事だった。
隊長である藍染は殺され、副隊長の雛森は隊舎牢に拘束されている。
隊長と副隊長と同時に失い、五番隊は混乱している。全く機能していないといっていいだろう。
藍染を殺されて狂乱し、市丸へと刃を向けた雛森。
「三番隊には気をつけな。特に―――――藍染の奴が一人で出歩く時にはな」
日番谷の忠告が雛森をそうさせた。
こんなことになるとは思わなかったから。あの言葉は、雛森を守るためだったのに。
「捕えろ。二人共だ」
日番谷が雛森を拘禁しろと命じた。あのとき、市丸は雛森を殺そうとしていたから。雛森のことを守りたかった。
ゆえに、日番谷は五番隊の引き継ぎ業務を引き受けたのだ。今、混乱しているのは全て日番谷のせいだから。
「……………」
日番谷は黙々と仕事している。
五番隊から書類が届けられてからずっと、休むことなく。
それに……休んでしまったら考えてしまうから。
手を止めてしまったら後悔してしまうから。
だから、日番谷は仕事を続けていた。
「はぁ……」
日番谷はようやく手を止めた。
休まず仕事をしていたおかげで、大量にあった書類は片手で持てるほどまで減った。
けれど、相当疲れた。
体をほんの少しでも動かすだけで音が鳴る。目も痛い。肩も凝っている。
心も体も疲れた。何も考えられないくらいに。
目を閉じれば、そのまま眠ってしまいそうだった。
……それなのに。
『隊長。大丈夫ですか?』
声が聞こえた。愛しい声が、日番谷の心に響いた。
ハッと目を見開く日番谷。そして、探してしまった。
いないと分かっているのに。
「……くそっ!」
日番谷は拳を強く握り締める。
手を離してしまったことを、追いかけなかった自分自身を、責める。
しばらくして、日番谷は机の引き出しを開けた。
中にあったのは、翡翠色の玉。
日番谷は、それを手にして、目を閉じる。
の笑顔が、の声が、日番谷の心によみがえる。
考えたくなかったのに。後悔したくなかったから。
だから必死で考えないようにしていた。それなのに…。
後悔すると分かっていても、そうせずにはいられなかった。
それくらいに会いたかったから。
目を閉じればがいる。
耳を澄ませばの声が聞こえる。
それほどまでに、日番谷はのことを求めていた。
「隊長!大変です!!」
血相を変えて戻ってきた乱菊。何か言おうとしたが、言葉が出てこない。
落ち着かない自分に腹を立てながら、乱菊は手に持っていたものを日番谷に渡す。それは手紙だった。
「…これは?」
「……の部屋に…ありました」
ようやく出てきた言葉。それを言うだけでかなりの疲労感が乱菊を襲う。
それでも、乱菊は続けて言う。自分の気持ちを吐き出すように。
「の部屋。私物は全部片付けられていました…。霊圧を探したけど分からなくて……」
「……………」
日番谷は黙っていた。何て声をかければいいか分からなかった。
結局、日番谷は手紙を受け取っただけで、何も言えなかった。
の手紙を開ける。そこに書いてあったのは、たった一行の文章だった。
『約束を守れなくてごめんなさい。さようなら』
謝罪と別れの言葉。
いつも以上に丁寧な文字で書かれている。
だが、の気持ちが伝わってこない。
がどんな思いでこれを書いたのか、全く分からない。
日番谷は、自然と手に力が入る。手紙を握り潰してしまいそうになる。
そうしてしまおうかとも思ったが、できなかった。
からの初めての手紙だから。そんなことできるわけがなかった。
「……隊長…」
「…少し出てくる」
そう言うと日番谷は執務室から出て行った。
乱菊は何かを言おうとしていたが、それを拒んだ。
今の日番谷には、他人を気遣うほどの余裕はなかったから。
の霊圧を探るが、分からない。
霊圧を消しているのだろう。それでは探しようがない。
小さくため息をつき、日番谷はある場所に向かい歩を進める。
そこは、の部屋だった。
「ようやく来たな」
部屋の中に入った途端、日番谷の耳に声が響いた。
一度だけ聞いた、艶のある声。目に映った、鮮やかな紅。
日番谷の目の前には、の斬魄刀・曼珠沙華が立っている。
「他人の、しかも異性の部屋に無断で入るとは、感心しないな」
「……………」
そう言って曼珠沙華は笑った。
けれど、日番谷は何も答えなかった。代わりに返したのは、問いだった。
「…はどこにいる?」
「我が答えると思うか?」
「……………」
日番谷は黙り込んでしまう。
曼珠沙華が答えてくれるとは思わなかった。
彼女は主であるに忠実だから。無理やり吐かせることは不可能だし、そんなことをしたくはなかった。
再び日番谷は曼珠沙華に問う。
「……どうしてここにいる?」
曼珠沙華は日番谷に言った。「ようやく来たな」と。
つまり日番谷がここに来るのを待っていたということだ。
のそばを離れて、曼珠沙華がここにいる理由は何だ?
曼珠沙華は日番谷に近寄り、何かを手渡す。それは……翡翠色の玉だった。
「…これは?」
「お守りだ。主がお前のために作ったものだ」
「が?俺に…?」
「願掛けをしてある。『無事であって欲しい』と。『そばにいられない自分の代わりに守って欲しい』と」
「……………」
日番谷は黙ったまま、そのお守りをぎゅっと握り締めた。
そうしたかった。そうしなければならない気がした。
それを見て曼珠沙華は何も言わずに、小さく微笑んだ。
無言の時間が流れていく。ほんの少しだけだけど。
そして、ようやく曼珠沙華は本題に移った。
「五番隊隊長のことを耳にしたが、本当か?」
「…ああ。殺された」
「……そうか。はじめたのか」
「……何?」
日番谷は、曼珠沙華の言葉を、聞き逃さなかった。
日番谷は問う。『どういう意味だ?』と。
何か知っているのか、と。何か関係があるのか、と。
日番谷の、曼珠沙華を見るその目は、疑っている瞳だった。
曼珠沙華を疑うということは、を疑うことと同じなのに。だが、日番谷はそれに気付かない。
そんな日番谷を見つめて曼珠沙華は言う。
「主は決めた。友を、朽木ルキアを助けると」
だから、日番谷から離れた。
だから、月花は日番谷のそばにいない。
それを聞いて、日番谷の顔は歪む。
苦しくて、悲しくて、心が痛くなる。
それでも、曼珠沙華は続ける。の気持ちを知って欲しいから。
「主は最後まで悩んでいた。お前から離れることを。今でも悔やんでいる。お前との誓いを守れなかったことを」
曼珠沙華はの気持ちが分かる。
が刀を強く握るたびに、の気持ちが伝わってくるから。
だから、曼珠沙華はここにいるのだ。のお守りを日番谷に渡すために。
はそれを望んでいるから。言葉にはしないけれど。
そして、ここからは曼珠沙華の願いだった。
「主を責めないでくれ。そして、できることならもう一度、主を受け入れてくれ。主は決して自分から戻ろうとはしない。戻りたくても戻らない。だから……頼む」
曼珠沙華は日番谷に言う。の居場所を失くさないために。
日番谷は答えなかった。答えることができなかった。
「起きたか。松本」
ソファーで眠っていた乱菊。身体を起こし、日番谷のほうを見て、言う。
「…隊長…何してんです。あたしの部屋で」
「バカヤロウ。執務室はお前の部屋じゃねえ」
ツッコミをいれる日番谷。
大きくため息をつき、日番谷は言う。
「起きたんならさっさと代われ。俺はもう疲れた」
「そんなの隊長が五番隊の引き継ぎ業務全部引き受けてくるからでしょ」
「うるさい。とっととコレ持って自分の机につけ」
そう言うと、日番谷は書類を乱菊に渡す。
乱菊は、それを受け取った途端、驚いた表情を浮かべた。
あんなにあった書類がなくなっている。
日番谷に聞けば、全部終わらせてしまったらしい。日番谷が、一人で。
「…あたし…。随分眠ってたみたいですね…」
「…構わん。同期と後輩があんなモメ方すりゃお前もそれなりにキツかったろう」
「…同期………か…」
乱菊は知りたかった。日番谷の考えを、気持ちを。
聞かなければ、知らなければ。そう思った。
「…ねえ、隊長。隊長は本当に…ギン……市丸隊長のことを…」
「……………」
「それに…は……」
「し…失礼します!十番隊第七席竹添幸吉郎です!!日番谷隊長、松本副隊長、三席は中におられますでしょうか!!」
突然の声。必死に中にいる日番谷と乱菊に呼びかける。
日番谷は立ち上がり、答える。
「何だ!開けろ!!」
ガラララッ
「は!失礼します!!」
俯いていた竹添が、ハッと顔を上げて報告する。
「申し上げます!先程入った各牢番からの緊急報告で―――――阿散井副隊長、雛森副隊長、吉良副隊長の三名が…牢から姿を消されたとのことです」
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