「はぁ…」
十番隊舎執務室に、乱菊のため息が響いた。
それが何度目のため息なのか、乱菊にも分からない。
今日一日で数えきれないほどのため息をついている。それだけは分かった。
一体どれほどの幸せを逃がしてしまったのか……考えたくもない。
あの後、雛森を五番隊舎牢に拘置すると、乱菊はまっすぐ十番隊舎に戻ってきた。
結局、副隊長の定例集会は中止になった。もしあったとしても、乱菊は参加しなかっただろう。
もう何がなんだか分からなかった。
誰が藍染を殺したのか。
なぜ雛森は市丸に刃を向けたのか。
乱菊にとって、雛森は可愛い後輩。
そして市丸とは同期として知られているが、それだけではない。
誰にも話していないが、幼い日々を共に過ごした幼馴染なのだ。
そんな二人がもめるところなんて、見たくなかった。
「はぁ……」
また、ため息をついてしまう乱菊。
気分が暗くなるばかり。いつまで経っても晴れない乱菊の心。
その原因は、
「……何で誰もいないの?」
一人でいるせいだった。
日番谷は、今回のことを元柳斎に報告するため、一番隊に行っている。
それは分かっている。だが、問題はもう一人だ。
今は業務時間中なのに姿を現さない。
守護配置についているのかと思い、他の隊員に聞いてみたが、皆「知らない」と言う。
は伝令神機を持っていないし、地獄蝶は全部使用されている。
よって、に連絡を取る手段がない。乱菊は、が来るのを待つことしかできない。
『嫌なのよね…。待つのって……』
いつ来るのか、どこに行ったのか、分からない。
そういう人を待つのは嫌いだった。
怖くて、落ち着かなくて、胸騒ぎがするから。
いつまで経っても来ないんじゃないか、と。
もう二度と戻ってこないかもしれない、と。
そんなことばかり考えてしまうから。
『早く帰ってきて』と。乱菊は心から強く願った。
ガラララッ
執務室に扉が開く音が響く。
かと思ったが、そうではなかった。
報告を終えて戻ってきた、日番谷だった。
小さくため息をついた後、乱菊は「お帰りなさい」と言う。
「…おう」
そう言って日番谷は自分の席に着いた。
椅子に座り、ぎゅっと目を閉じる日番谷。その眉間には深々と皺が刻まれている。
そんな日番谷のために、乱菊はお茶を淹れようと思い、給湯室に行こうとした。
けれど、
「……茶は要らねえ」
日番谷にそう言われてしまった。立ち止まる乱菊。
何をすればいいか分からなくなる。
何かをしていたくて、そうしないとまた心が暗くなってしまいそうで、辺りを見回した。
日番谷が動き出したのは、乱菊が『仕事でもしようかな』と本気で思ったときだった。
「松本。お前に頼みがある」
乱菊は席に着くことをやめた。日番谷の前に立ち、まっすぐ見つめる。
すると、日番谷は懐から何かを取り出した。
それは、手紙だった。
「これを雛森に渡してくれ」
「…これは?」
「藍染の部屋にあった。何か手がかりがあるかもしれないが、雛森に宛てた手紙を勝手に読むわけにはいかねえからな」
「…………」
それを聞いて、乱菊は心の中で『臆病者』と呟いた。
本当ならこんなことをしてはならないのに。
証拠品として提出しなければならないのに。
そうしないのは、雛森のことが大切だからだ。
それなのに、自分で渡しに行かず、乱菊に頼む。
『隊長は臆病者だ』と思った。
だが、それを言葉にしない。
乱菊は知っているから。言いたくても言えない苦しみを、つらさを。
だから、その言葉を目を閉じて心にある引き出しに仕舞った。
そして、日番谷から手紙を受け取り、五番隊舎に向かった。
「どうぞ。こちらです」
牢番から雛森と面会することを許可され、乱菊は五番隊第一特別拘禁牢に入った。
中には、雛森が膝を抱えて体を小さくしていた。
乱菊に気付き、雛森はゆっくりと顔を上げる。
泣き腫らして、虚ろな目。
そんな雛森を見て、乱菊は胸が痛くなる。
「…乱菊さん。どうし…」
ザッ
雛森が全部言い終わる前に、乱菊は手紙を差し出した。
だが、それを見ても雛森は理解できないらしい。さらに乱菊は言葉を加える。
「藍染隊長の部屋にあった。あんた宛だよ」
「…藍染隊長が…?あたしに…」
ようやく雛森は理解した。
乱菊から手紙を受け取るが、その手は小さく震えている。
乱菊は立ち上がりながら、言う。これだけは知っておいて欲しいから。
「…見つけたのがウチの隊長でよかったよ。
他の誰かだったら証拠品として提出されて、あんたの所へは届かなかったかもしれない。
何が書いてあるのか知らないけど、自分の体調が最後に言葉を遺した相手が自分だったってのは副隊長として幸せなことだよ。…大事に読みな」
言い終わると、乱菊は牢から出て行った。
後ろから「ありがとう」と言う声が聞こえる。
それを聞いて、乱菊は複雑だった。
手紙を届けただけで、何もしていない。
そんな自分がお礼を言われるのは、変な感じがする。
その言葉を聞くべき相手に、申し訳なく思った。
そして、
「……」
乱菊は小さな声での名前を呼んだ。
会いたかった。に。
会いたくなった。今すぐに。
『もしかして、執務室に来てないだけで、隊舎のどこかにいるんじゃないの?』
何となくそう思った。確証はないけど、そんな気がしてきた。
乱菊は、執務室に戻ろうとしていたが、やめた。
を探しに行くことにした。待っているのはもう嫌だから。
まずは、手始めにの部屋に行くことにした。
少し前に部屋の場所を教えてもらったが、乱菊はまだ一度も行ったことがなかった。
少しワクワクしながら、の部屋に向かった。
そして、またしても乱菊は手紙を届けることになる。
からの、おそらく最初で最後の手紙を。
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