日番谷はゆっくりと口を開き、に問う。
「お前にとって俺は何だ?」
刹那。の中で音が消えた。
は何にも聞こえなくなった。呼吸する音も、心臓の音も、何一つ。
日番谷の言葉がの心をこだまする。何度も何度も繰り返し。
声が記憶されて離れようとしない。
「……それは…どういう意味ですか?」
ようやくは声を出せた。
そうしなければならなかった。
日番谷の真意を知るためには、そうするしかなかった。
その先にあるのがどんな未来だとしても。
「市丸に聞いた。一番最初に旅禍が侵入したとき、市丸が旅禍を取り逃がしたとき、お前、そこにいたんだってな」
「それは……」
「そのことを俺に言わなかったのは何でだ?何か言えない理由でもあったのか?」
「……………」
は答えない。自分の中で市丸の言葉がぐるぐる廻って、答えることができない。
そして、日番谷の顔を見ることができなくて、は日番谷から目をそらしてしまう。
それを日番谷は見逃さなかった。
短く息を吐き、日番谷はに言う。
「もういい」
「隊長!私は…!」
はっと顔を上げて、は何か言おうとした。
だが、日番谷はそれを許してはくれなかった。
「お前の顔見たくない」
言葉が消えてしまう。
伝えたかった気持ちが死んでいく。
日番谷の声が、言葉が、の心に突き刺さる。
『痛い。悲しい。痛い。悲しい』
感情が入り交じる中、は目尻が熱くなっていくのに気付いた。
ぎゅっと目を閉じる。『泣いては駄目』と自分に言い聞かせた。
は、必死に泣くのを堪えて、何も言わずに立ち去る。
日番谷は下を向いたままずっと黙っていた。
最後までのことを見ようとはしなかった。
拳を強く握り締めて、自分自身を抑えていた。
もし見てしまったらのことを追いかけてしまうから。
『追いかけろ』と心が言っている。
『追いかけたい』と体が叫んでいる。
それでも、日番谷はそれを拒む。
『俺には……アイツを追いかける資格はない』
を傷付けた。大切な人を傷付けてしまった。
「護りたい」と思っていたのに。「お前を護る」と誓ったのに。
「………くそっ…」
だが、それは結局、怖いだけだった。
自分が傷付くことが怖くて、逃げていただけだった。
自室に戻ると、は崩れるように倒れてしまった。
体の痛みは感じない。心の痛みしか感じない。
『もういいよ。泣いていいよ』
そう自分自身に言う。
今までずっと堪えていた涙。次から次へと溢れ出す。
目を閉じてひたすら泣いた。
誰かが呼んでいるような気がするけど、応えない。
『もうどうでもいい』
そう心の中で思った。
瞼の裏に広がる漆黒の闇。は暗闇の中で小さく呟いた。
「いたいよ…」
小さな女の子が泣いている。一人ぼっちで泣いている。
そこへ、一人の少年がやってきた。
にっこり微笑み、女の子の頭を優しく撫でる。
「どうした?転んだか?」
女の子は首を横に振る。
顔を上げると涙いっぱいの瞳で、少年のことを見つめた。
「ココがいたいの…」
そう言うと、女の子は自分の胸に手を当てた。
少年はその手の上に自分の手をのせた。大きな手が小さな手を包み込む。
「そうか。ココが痛いか」
「…えっ…ん……」
それでも女の子は泣き止まない。
すると、少年は女の子を抱きしめた。ぎゅーっと力いっぱい抱きしめる。
「おもいっきり泣け。そして吐き出せ。俺が聞いてやるから。お前が言いたかったことも、誰かに言えなかったことも、全部」
「……ほんと?」
「本当だ。そばにいてやるよ。」
「ありがとう。………兄上」
女の子は意識が遠ざかっていくのを感じた。
別れのときが、目覚めるときが来てしまった。
小さな体が大きくなっていく。
女の子はに戻っていく。
元に戻りたくなかった。戻ってしまったらつらい現実が待っているから。
ここにいたかった。このままずっと兄と一緒にいたかったから。
けれど、それは許されない。
戻らなければならない。ここにいてはいけない。
分かっている。頭では理解している。
だから、今度は自分から抱きしめた。兄が消えてしまうその前に。
優しさを忘れないために。温もりをあげるために。
は目を覚ました。
部屋に差し込む朝の光。明るくて、暖かくて、まだ兄がそばにいるような気がした。
もう涙は出てこない。夢の中に全部置いてきた。
は笑う。笑うことができた。
「ありがとうございます。兄上」
太陽に向かい、は言う。
幻だったけど、もうここにはいないけれど、あれは間違いなく兄だった。
妹を心配して夢の中に来てくれた。
「泣け。吐き出せ」と慰めてくれた。
「頑張れ」と励ましてくれた。
昔と変わらない兄に、は心から感謝した。
「…………」
後ろから感じる気配。それが誰なのか、はすぐに分かった。
振り返ると具象化した曼珠沙華が立っていた。けれど、元気がない。
のことを心配しているのか。それとも何か疲れることをしたのか。
どちらにしてもが曼珠沙華にすることは一つだった。
「何て顔してるの?」
そう言って、はもう一度笑った。自分は大丈夫だと証明するように。
だが、曼珠沙華の表情は暗いままだった。
「……………」
「心配かけてごめんね。でも、もう大丈夫だよ」
は『大丈夫だ』と言う。『笑ってもダメなら、言葉で伝えよう』とそう思い、笑い続ける。
すると、曼珠沙華はそんなの頬に手を当てる。
はその上に自分の手をのせた。夢の中で兄が自分にやってくれたことをする。
肌から肌へ温もりが伝わる。互いの気持ちも何となく分かった。
「いいのか?本当に」と曼珠沙華は言う。
曼珠沙華は心配だった。
は大丈夫だというけれど、空元気な気がしてならない。無理はして欲しくなかった。
「いいの。もう決めたの」とは言う。
は決めた。自分が進む道を。ようやく決めることができた。
「私はルキアを助ける」
ゆっくりと立ち上がった後、は自分の部屋を見回す。
私物は全てまとめて一つの箱に仕舞った。今、部屋にある大きなものはその箱と机だけ。
机の上には手紙が二つ置いてある。
一つは乱菊に。もう一つは日番谷に。
読まれるかどうかは分からない。それでもは手紙を書きたかった。
二人に自分の気持ちを伝えたかった。
……直接会って伝えることはできないから。
は手紙にお辞儀した。
しばらくしてゆっくりと頭を上げる。
そのときには、もうの瞳に迷いはなかった。
刀に戻った曼珠沙華を手にして自室を出ると、は瞬歩である場所へ向かった。
旅禍とともに尸魂界に戻ってきた、あの人のもとへ。
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