朝、執務室に行けばがいる。
満面の笑みを浮かべるに小さく笑う。
挨拶を交わした後、二人で仕事をする。
とても静かでとても温かい空間の中、二人きりの時間。
しばらくしたら乱菊が慌てて執務室に入ってくる。
遅刻ではないが、遅刻半歩手前にイラつく。
だが、乱菊が来た途端、にぎやかになる執務室は結構心地よい。
怒りながら笑いながら三人で仕事をする。
穏やかで幸せな日々。
これからもずっと続くと思っていた。
根拠なんてものはどこにもないけれど、そう思っていた。
地獄蝶がやってくる、その瞬間までは……。
『緊急伝令!空座町で虚が大量発生!』
それを聞いた途端、日番谷、乱菊、に緊張が走った。
ひとつの町に虚が大量に現れるなんて。
『いったい何故?』
日番谷は考えようとする自身を止めた。
そんなことをしている暇はない。今は、一刻も早く現世に向かわなければ。
そう自分に言い聞かせ、乱菊のほうを見た。
「松本。行くぞ」
「はい!今すぐ穿界門の準備をさせます!」
そう言うと、乱菊は執務室から出て行った。
日番谷も続いて執務室から出ようとした。
けれど、
「私も行きます!」
の言葉を聞き、日番谷の足は止まった。
扉の前で、前を向いたまま、日番谷はに言う。
「お前は残れ」
「何故ですか!」
「今のお前は冷静じゃねえ。そんな奴を行かせるわけねえだろ」
「でも…」
「隊長命令だ。残れ」
「……………」
今回、虚が現れたのは空座町。
そこは、朽木ルキアが行方不明になった場所。
冷静でいられるわけがない。はきっとルキアのことを探すだろう。
もしもを現世に連れて行ったら。大量の虚がいる戦場に連れて行ってしまったら。
日番谷の脳裏は、最悪の状況を浮かんでしまう。
そこへ、再びやってきた地獄蝶。二人に新しい情報を伝える。
『緊急伝令!空座町に大虚が現れました!』
それを聞いた日番谷と月花は驚きを隠せなかった。
"大虚"
幾百の虚が折り重なり、混ざり合って生まれたとされる巨大な虚。
それが現世に現れるなんて、有り得ない。今まで聴いたこともない。
「ルキア!」
執務室から飛び出そうとする。
だが、日番谷はの腕を掴み、止めた。
咄嗟に掴んだその腕はとても細くて、力を込めたら折れてしまいそうだった。
それでも、日番谷はを放さない。
そんな日番谷を見つめながら、は何も言わずに瞳で訴えている。
行きたい、と。行かせて欲しい、と。
だが、だからこそ、日番谷はを放さない。
行かせたくない、と。行かないで欲しい、と。
日番谷の心がが行くことを拒んでいるから。
長い長い沈黙の末、は日番谷から目をそらした。
すると、今度は隠密機動第五分隊・裏挺隊の隊員がやってきた。
日番谷の下へ歩み寄ると、隊員はひざを折り、報告する。
「報告。現世・空座町に大虚が出現しましたが、何者かが太刀傷を負わせ、虚圏へと帰らせました」
「何だと?」
「大虚を虚圏に戻すなんて……」
二人の疑問に答えることなく、報告を終えると隊員は即座に立ち去った。
カンカンカンカンカンカン
「隊長各位に通達!隊長各位に通達!只今より緊急隊首会を召集!」
間髪を容れず、廷内を鳴り響く警鐘。それとともに隊首会を召集する叫び。
何がなんだか分からない。
『いったい、何が起ころうとしているのだろう?』
日番谷やはもちろん、護廷十三隊の隊士全員がそう思っていた。
突然召集された緊急隊首会。
一番隊隊舎・隊首会議場には尸魂界を取り仕切る隊長が集められた。十三番隊隊長浮竹十四郎を除いて。
各隊の隊長が己の場所に並んでいる。
それを見た一番隊隊長および護廷十三隊総隊長である山本元柳斎重國がゆっくりと口を開いた。
「急な召集にも関わらず、よく集まってくれたのう。さて。本題に移る前に、まずはこれを見て欲しい」
そう言うと、元柳斎は皆にある映像を見せた。
一目見ただけで隠密機動からの報告だと分かる、音声が全くない映像。
それに映っていたのは、三つ。
太刀傷を負い虚圏へ帰ろうとする大虚。
身の丈ほどもある大きな斬魄刀を持った、オレンジ髪の死神。
黒髪のセミロングで特徴のある髪型をした小柄な少女。
この死神が大虚に太刀傷を負わせたのだろう。
だが、問題はそこではない。
死覇装姿の彼のそばにいる少女。
十三番隊の隊士で、四大貴族のひとつ朽木家の当主であり、六番隊隊長朽木白哉の妹・朽木ルキアに間違いない。
二月前、虚との交戦後、消息が途絶えた。
隠密機動が捜索したが、手がかりすら見つからなかった。
その後、空座町に現れる虚は全て昇華されていた。
それら一つ一つの点が全て繋がり、一本の線になった。
「人間への死神能力の譲渡。これは重罪じゃ」
元柳斎の言葉があたりに響く。
しん、としていた分、とても重たく聞こえる声。
「朽木ルキアの裁定については中央四十六室が会議を行っている。詳細はそれが決まり次第、通達する。……以上じゃ。これにて隊首会を終了する」
困惑のまま終わった隊首会。
日番谷の脳裏にの笑顔が浮かんだ。
隊舎に戻ると、日番谷は執務室に向かった。
業務時間はとっくに過ぎているし、仕事をする気は全くない。
にも関わらず、日番谷がまっすぐ執務室に向かった理由。
それはに会いたいと思ったからだ。
は日番谷が戻ってくるまで残っていることが多かった。
隊首会が長引いたとき、任務で帰ってくるのが遅くなったとき、は日番谷のことを待ってくれた。
いつも笑顔で日番谷を迎えてくれた。
に会いたい。の笑顔が見たい。
そう思いながら日番谷は執務室の前までやってくると、その扉を開けた。
明かりのない室内を月が優しく照らしている。
だが、の姿はどこにもなかった。
日番谷は一人、大きなため息をつく。
すると。
ガタン
何かが倒れる音がした。
よく見ると、床に斬魄刀が倒れている。それはの斬魄刀・曼珠沙華だった。
『忘れたのか?』
そう思いながら日番谷は曼珠沙華に近寄り、刀に触れた。
その瞬間、真後ろに気配を感じた。
振り返るとそこには一人の女性が立っていた。
炎のように紅い髪と瞳。日番谷はその鮮やかな色に目を奪われてしまう。
すると、彼女は艶のある笑みを浮かべ、日番谷に話しかけた。
「何だ。我に見惚れて言葉も出ないか。初心な奴だな」
「お前……曼珠沙華か…」
「そうだ。この姿で会うのは初めてだな」
日番谷は驚きを隠せなかった。
『あいつ…いつの間に具象化を修得したんだ』
そう思わざるを得ない。にそれほどの力があるとは、思わなかった。
すると、曼珠沙華から笑みが消え、真剣な瞳で日番谷を見つめた。
憂いと怒りが雑じる紅い瞳で、曼珠沙華は日番谷に問う。
「お前は主のことをどう思っている?」
日番谷は答えない。否、答えることができないというべきだろう。
質問の意味も、曼珠沙華の真意も、何一つ分からないのだから。
曼珠沙華の怒りは増していく。日番谷を睨むように見つめ、さらに続けた。
「以前、お前は我に言ったな。『主を護る』と。だが、ある日を境にしてお前は主を任務に出さなくなった。今日も現世に行きたいと言う主の気持ちを無視した。これがお前が言う『護る』ということなのか?」
「……………!」
曼珠沙華の言葉が日番谷の胸に突き刺さる。
それはまるで棘のように、容赦なく日番谷を痛み付ける。
「主は変わった。笑いたくなくても笑うようになった。怒りも悲しみも全て殺してひたすら笑うようになった」
「……俺は…あいつを……」
を護りたかった。が傷付く姿を見たくなかった。
だから、傷付かないように安全な場所に隠していた。
傷付くことがないように危険なことから遠ざけていた。
だが、それはエゴだ。
日番谷はようやく気付いた。
自分の気持ちがを、護りたいものを傷付けていたことに。
「これ以上、主を傷付けるな。主のことを大切に思っているのならな」
曼珠沙華の言葉が日番谷の心から離れない。
どうすればよかったのか?
これからどうすればいいのか?
分からない。いくら考えても答えが見つからない。
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