5.一言(後編)




日番谷ご乱心から三時間前のこと。
三番隊隊舎・執務室の前までやってくると、は大きなため息をついた。
そして、その扉を叩き、言った。

「失礼します。十番隊第三席です。市丸隊長はいらっしゃいますか?」
「入ってええよー」

は扉を開けて執務室の中に入った。
そこにはニコニコと手を振りながらを出迎える市丸の姿がある。
はそんな市丸に笑みを浮かべた。
そして。


「用がないようなので帰ります」
「ちょい待ちぃ!」


来た早々帰ろうとするを市丸は慌てて捕まえた。
捕まってしまったはものすごく嫌そうな顔をした後、チッと舌打ちをした。

「……何やの?その態度。十番隊の隊士はみんな十番隊長さんの教育が行き届いとるから礼儀正しいって聞いてたんやけど?」
「そうですけど?私の態度に何か問題でも?」

は愛想笑いを浮かべながら市丸に言う。
すると、市丸はにっこり笑った。
まるでお気に入りの玩具を見つけた子供のように。
そんな市丸を見たは小さくため息をつき、ようやく本題を口にした。

「私を呼び出した理由は何ですか?」
「んー。ちゃんに会いたくなったから?」


「斬ってもいいですか?」


そう言うとは斬魄刀の柄を握り締める。
本気で言っているのか、は今すぐ抜刀してしまいそうだった。
だが、市丸は相変わらず笑ったままのことをジーっと見つめている。
すると、は柄から手を離し、大きなため息をついた。

「何や?斬らへんの?」
「斬りません。市丸隊長は嘘をついていませんし」
「分からへんで。ボクの顔見ただけで『怪しい』って言う人たくさんおるし」
「少なくとも私にはそうは見えません。私に会いたいのも何か理由があるように見えましたが?」
「…………」

がそう言った途端、市丸から笑顔が消えた。
の言葉がとても驚いたようだが、すぐに市丸はいつもの笑みを浮かべた。

ちゃんと話したいと思って呼んだんや」
「今は仕事中なんですけどね…」
「駄目なん?」
「私は今日の仕事を一通り終わらせました。市丸隊長はどうですか?」
「まだ終わってないわ…」
「でしたら、仕事しながら話をするというのはいかがですか?」
「…ええの?」

の提案に市丸は驚いた。正直、断られると思っていたのだ。
は、愛想笑いではなく、優しく穏やかに微笑む。

「では、さっそく始めましょう。こちらの書類でよろしいですか?」

は机の上にある書類の山を指差し、市丸に尋ねた。
一方、市丸は満面の笑みを浮かべながら小さく呟いていた。


「……本当におもろい子や」


市丸が何か言ったような気がして、は首を傾げながら尋ねた。

「何かおっしゃいましたか?」
「いや、何も」

さらに首を傾げるだったが、深く追求することはなかった。
それから市丸とは話しながら仕事をしていた。
二人の会話の内容は世間話や日常のことがほとんどだった。


「イヅル君いないんですね」
「今日イヅルは任務なんや。もう少ししたら戻ってくると思うわ」
「任務ですか…」
「そういえば、ちゃんは何で稽古しとるん?」
「稽古をしないと身体が鈍るので。事務処理が得意なせいか、任務に出させてくれないんです」
「……それは違うで」
「市丸隊長?」
「ギンって呼んでや」
「駄目です。隊長は隊長なので」

そのとき、は一つの霊圧が近付いているのを感じた。
それはがよく知る人物のものだった。
市丸も気付いたらしい。小さくため息をつき、のほうを見た。

「残念やけど、今日はこれで終わりやな」
「そうですね…」

そう言いながらが机の上を整理していると、


「市丸!!」


壊れてしまうほどの勢いで扉が開いた。
そこには日番谷が立っていた。
一目見ただけで日番谷の怒りが最高点に達していることが分かる。
だが、にはその理由がよく分からなかった。

『今日中にできる仕事を明日に回したから?それとも三番隊の仕事を手伝ってるから?』

がそんなことを考えていると、市丸は満面の笑みを浮かべて日番谷に話しかけた。

「何か用なん?十番隊長さん」
「…市丸、テメェ、勝手にうちの隊士を呼び出すんじゃねえ」
「ええやん、別に」
「よくねえ!!帰るぞ!」

日番谷はの手を握り三番隊を出た。
は、市丸にぺこりと頭を下げて、日番谷の後に続いた。


十番隊隊舎へと戻る途中、日番谷はずっと何も言わなかった。
も黙ったまま日番谷の後ろを歩いている。
すると、突然日番谷が立ち止まり、も同じく止まった。
繋がれていた手も日番谷から解かれた。
は少し寂しく思いながら、日番谷の背中を見つめる。
日番谷は振り返ることなく、のほうを見ることなく、ゆっくりと口を開いた。

「……なんで市丸のところに行ったんだ?」
「市丸隊長に呼び出されたので」


「お前は誰かに呼び出されたらどこにでも行くのかよ!?」


日番谷は大声を上げた。
はその声がとても悲しそうに聞こえた。
はもう一度日番谷の手を握る。
拒絶されるのではないかと心配したが、日番谷は拒まなかった。

「すみません。私の行動は隊長のお心を乱してしまいましたね。本当にすみません」
「…………」

日番谷は黙ったままだった。
そんな日番谷の姿を見て、は小さく笑った。
泣きそうになる気持ちを抑えながら、涙を流さないようにするために、は笑っていた。
すると、

「任務から戻ってきて、お前がいると思っていた。笑って『お帰りなさい』って言うだろうと思っていた」

日番谷はの手をぎゅっと握り、話し始めた。
自分の気持ちを言葉にしていく。

「戻ってもお前がいなくて、三番隊に行ったって聞いて、なんだか腹立った。さっきのは八つ当たりしただけなんだ。だからお前は悪くねえ」

謝って欲しいわけではない。
そんな顔をして欲しいわけではない。
日番谷は、本当は……。


「お帰りなさい」


はっとしたように日番谷は振り返る。
は優しく微笑み、もう一度言った。

「お帰りなさい。隊長」
「………ただいま」
日番谷は小さく笑って、その言葉を口にした。
聞きたかった一言を聞くことができた。
言いたかった一言を言うことができた。



笑顔が見たかっただけだった。
「お帰りなさい」と言ってほしかっただけだった。
「ただいま」と言いたかっただけだった。
ただそれだけだった。







  



言葉は心を乱すものであり、心を癒すものでもあると思います。
ヒロインさんの一言はみんなの心を動かしていることを感じていただければ嬉しいです。 (08.08.03)

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