なくしたもの




朽木ルキアの処刑、旅禍の侵入、未曾有の大混乱に陥った瀞霊廷。
それら全ての元凶である奴らが姿を消して、月日は流れた。
今回の騒乱で壊れた建物のほとんどは修復し、護廷十三隊の隊士たちが受けた傷は回復した。
だが、それでも癒えないモノはある。たぶんもう二度と戻らない。



最近、松本の不安そうな眼差しを見ることが多くなった。
隊舎を歩くたびに、隊士たちに会うたびに、声をかけられるようになった。
何故なのか、原因はすぐに思い浮かんだ。俺が笑わなくなったからだ、と。
俺は"あの日"から一度も笑っていない。
口の先を上げたりしたが、どうやっても笑顔にはならなかった。
松本や部下たちを苦しめていると分かっていても、今の俺にはどうすることもできなかった。
そんな自分自身が嫌になっていたとき、に言われた。

「笑いたくないなら笑わなくていいんです」

花が咲いたように明るい笑顔、母親のような優しい瞳。
そんなを見ただけで、胸の辺りがチリッと痛むのが分かった。

「笑いたいときに笑ってください」
『笑いたいときは素直に笑っていいんだよ』

のと重なって聞こえた、声。あのときとほとんど同じ言葉。
たぶんあのときと全く同じ気持ち。唯一違うのは、それを言った奴。ただ、それだけ。それだけなのに。

「……ちょっと外出てくる」
「えっ?たい…」

最後まで聞かず、瞬歩でその場をあとにした。
行くあてのない俺は、ひたすら瞬歩で移動する。少しでも遠くに行きたかった。から離れたかった。
そうしないと、のことをアイツの名前で呼んでしまいそうだった。


馬鹿か、と思う。
とアイツは全然違う。容姿も、関係も、似てるところなんかない。
そんなことは分かっているし、重ねて見るなんてことしたくもない。
なんだか無性に腹が立ってきた。俺の内で黒くて冷たい気持ちがぐるぐる回っている。
何でアイツじゃないんだ、と。それは、自分のそばにいるのがで、アイツじゃないことに対して。
何でアイツなんだ、と。傷付いて目を覚まさないのがアイツで、はなんともないことに対して。
自分勝手で、醜い感情だ。そんなこと考えている自分が嫌だった。



周りに誰もいないことを確かめて、ようやく立ち止まった。
荒い息がしばらく続く。瞬歩を乱用したせいか、自分を落ち着かせるためか、分からなかった。

「……雛森」

あの日から一度も目を覚まさないアイツ。
何度、総合救護詰所に足を運んでも、床に伏せるアイツを見るばかり。
ずっと眠り続けている理由はひとつしか思い浮かばなかった。
それ以上、余計なことを考える前にその場を退散しようとしたが、

「言葉をかけてやってはくれませんか」

ずっとアイツを見つめていた俺に、卯ノ花はそう言った。
アイツは自分を必要とする誰かの声を待っている、と。
だが、それを聞いても俺は言葉をかけることはできなかった。今の俺にかけてやれる言葉はないから。

「……俺は…」

守りたいと思った。守ると自分に誓った。それなのに、守れなかった。
自分自身の弱さを呪った。そして、傷付けた奴を恨んだ。

「……藍染…」

今、俺の内にある黒くて冷たい、負の感情。
これほど人を憎いと思ったことはない。これほど人を殺したいと思ったことはない。
俺は藍染を殺す。刺し違えてでも、必ず殺してやる。
そうしなければ、笑えるはずがない。笑うことなんかできやしない。
そう、自分の心に決めた。迷いはない、はずだった…。

『隊長!』

刹那、声が聞こえた。
誰もいないはずなのに、はっきりと声が聞こえた。
それが記憶の中にある声だということは分かった。だが、それが誰の声か分からなかった。











 (10.05.26)

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