その日、珍しく十番隊の仕事が早く終わった。
あとは処理済の書類を提出すれば業務は終わりだ。
凝った肩をほぐした後、日番谷は乱菊に声をかける。
「松本、あとは頼む」
「はーい。お疲れ様でした」
日番谷は乱菊に任せて自室に戻った。
自室に戻ると日番谷は羽織を脱ぎ、ごろんと寝転がる。
ようやく一息つくことができた。
最近ずっと忙しい日が続いていた。
定時前に仕事が終わったのはかなり久しぶりだった。
そして、こんなに心が穏やかなのも。
「…………」
急激に眠くなってきた。
瞼が重くて目を開けていられない。
日番谷は眠りについた。
「ふわぁ。終わったー」
書類を提出し、の仕事は全て終わった。
自室に戻ろうとしたら、
「あ、ー!」
乱菊に呼び止められた。
なんとなく嫌な予感がするが、「気のせい。たぶん…」と自分に言い聞かせては立ち止まった。
「!これからヒマ?」
「はい。特に用事はないです」
「良かった!これ、隊長に届けてくれない?」
そう言って乱菊は大きな紙袋をの前に差し出した。
中身をのぞいてみたらお菓子が大量に入っている。
「これは…」
「浮竹隊長からの差し入れ。全部賞味期限が今日までなのよ」
「どうしてこんなにたくさんのお菓子を?しかも今日までのを?」
「浮竹隊長はウチの隊長のことを気に入ってるからね。いただいたのはだいぶ前なんだけど、すっかり忘れちゃって…」
「でも、隊長は甘いものが苦手じゃなかったですか?これを一人で食べるのはキツイと思いますけど…」
しかも全て今日中。
たとえ日番谷が甘いものが好きでもキツイだろう。
は眉間に皺を寄せながら嫌な表情を浮かべる上司の顔が容易に頭に浮かんだ。
できることなら遠慮したい。
けれど。
「大丈夫よ!が一緒に食べればいいんだから!甘いもの、好きでしょ?」
「好きですけど…」
「お願いね!」
乱菊はに紙袋を持たせると、瞬歩で消えた。
ひとり残されたは重い紙袋を手に、それ以上に重いお願いをしていった乱菊を恨んだ。
「はぁ…」
は隊首室へと向かうが、足を進めるたびに重くなっていく気持ち。
それは隊首室を目の前にしたときに最頂点に達した。
「はぁ……」
帰りたいと心底思った。
だが、任された以上、逃げ出すことはできない。
の性格上、それは許せない。
は覚悟を決めて、「よしっ!」と気合を入れた。
「失礼します。十番隊ですが、日番谷隊長はおられますか?」
返事を待つが、一向に返ってこない。
部屋にいないのだろうかと思い、霊圧を探ってみるが、
「部屋にいるよね?」
目の前から日番谷の霊圧を感じた。
後で伺おうか、部屋の中に入るか、迷う。
隣にある今日までのお菓子を見つめて、は決めた。
「失礼します」
扉を開けると、そこにはやっぱり日番谷がいた。
死覇装のまま、横になっているその姿はどう見ても…。
「眠ってる…」
穏やかに眠る日番谷をは初めて見た。
一歩。音を立てないように日番谷に近寄る。
きちんと正座するの前には日番谷の寝顔がある。
普段は眉間に皺を寄せていることが多いが、今の日番谷にはそれがない。
「かわいい」
日番谷の年相応の姿に、は思わず見入ってしまった。
「ん…」
『起こしてしまった!』
そう思って焦るだが、違った。
「ん……」
日番谷は寝返りを打ち、また眠りについた。
の膝を枕にして…。
『隊長の頭が!私の膝に!!』
は口に手を当てて必死に声を出さないようにした。
努力の甲斐があり、日番谷が起きることはなかった。
けれど。
『動けない…』
日番谷が目を覚ますまでずっとこのままだ。
ドキドキしながらは日番谷の髪にそっと触れた。
それでも日番谷が起きることはなく、眠り続けている。
『どんな夢を見ているのだろう?』
夢を見ているのは眠りが浅く、疲れが取れないと聞いたことがあるけれど。
もし今、日番谷が夢を見ているのならば、優しい夢であって欲しいと願った。
日番谷が真央霊術院にいるときから噂は耳にしていた。
『銀髪の天才児』
『数百年に一人と言われるほどの神童』
護廷十三隊に入隊し、瞬く間に至上最年少で隊長へと上り詰めた。
隔絶した力を持ち、誰よりも強くなければ隊長になることは不可能な、隊長という座へ。
日番谷は十番隊の隊長。
十番隊にとってなくてはならない存在。
この背中に何百人の隊士の命を抱えている。
は壁に掛けてある隊首羽織を見つめた。
隊長にだけ着ることが許された、純白の羽織。
日番谷はそれを手にするまでにどれほどのものを得、どれほどのものを失ったのだろう。
は自分と日番谷の距離を感じてしまう。
隊長と三席では、力も、覚悟も、何もかもが違う。
「遠いな…」
「何がだ?」
目線を下へと落とすと、綺麗な碧緑の瞳がを見ている。
「隊長!」
「悪いな、枕にして。疲れただろ?」
日番谷は体を起こし、ぐーっと伸ばす。
一方、は驚きすぎて言葉が出てこなかった。
「それで、なんでお前がここにいるんだ?」
日番谷は胡坐をかいてをまっすぐ見つめた。
は姿勢を正し、答える。
「乱菊さんから隊長にこれを届けて欲しいと頼まれてきました」
「これの中身は?」
「……浮竹隊長からの差し入れで、お菓子です。全て期限が今日までの…」
「あの野郎…」
日番谷は大きくため息をついた。
小さく「明日は仕事を倍にしてやる」という声が聞こえる。
は「ご愁傷様です」と心の中で小さく呟いた。
「用件は分かった。わざわざすまなかったな」
「いいえ。こちらこそ、勝手に中に入ってしまい、すみませんでした」
「構わん。それよりこれから用事あるか?」
「いいえ。特にありません」
「菓子食っていかないか?さすがに一人でこれ全部は食えない」
「えっ?いいんですか?」
突然のお誘い。
信じられなかったが、日番谷は頷いた。
「期限は今日までなんだろ?せっかくもらったのに捨てるのは勿体ねえし」
「そうですね。私でよければお手伝いします!」
「助かる。ありがとう」
「いいえ!私、甘いもの大好きですから!」
「そうか」
そう言って、日番谷は笑った。
皺がない、とても自然な笑顔だった。
も日番谷と一緒に笑った。
それからと日番谷は縁側へと移動した。
はお菓子を一口食べて、日番谷が淹れてくれたお茶を飲む。
上品なお菓子の甘さと濃い目のお茶が口に合ってすごくおいしかった。
「そういえば、いつから気付いてたんですか?私がいるって」
「あぁ。誰かが来たってのはなんとなく気付いてた。寝ぼけてたせいか誰とまでは分からなかったけどな。はっきり分かったのはお前が独り言を言ったときだな」
「そうだったんですか」
日番谷に「かわいい」と言ったことや、髪の毛を触ったことは覚えていないらしい。
ほっとするに日番谷は静かに尋ねた。
「何が『遠い』んだ?」
「えっ?」
「まぁ、言いたくないなら構わないがな」
「…………」
日番谷はいつもそうだ。
悩んでいたり、困っている部下がいたら声を掛けてくれる。
部下思いの、とても優しい人だ。
だからこそ乱菊やをはじめ、十番隊の隊士は皆、日番谷を慕っている。
小さく、穏やかに、は笑った。
「ずっとそばにいたいと思う人がいるんです。でも、その人と比べたら私はまだ弱くて。私とその人との距離は遠いなって思っていたんです」
「…そうか」
「私は強くなりたいです。もっと強く」
「……頑張れ」
「はい!」
隊長のそばにいたい。
これからも隊長のそばで笑っていたい。
これからもずっと隊長に笑っていて欲しい。
だから、私はもっと強くなる。
終